うーん 自分でもこの進みに唖然です
2006年 08月 27日
こんばんわナチョパパです。
今日、表参道→原宿で1万人以上の演者のよさいこい祭が行われてました。
あまりの人出にビックリしましたが、それにもましてカメラマンが一杯いたので、
僕は撮影をしませんでしたf^_^;)アセ
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改めて、こんばんわナチョパパです。
いや昨日のブログで『ハンバーグ作りました』って書いたら、“写真でも良いので見せてください”というコメントがありまして…。でも全然写真を撮りませんでしたf^_^;)アセ
ナチョパパハンバーグは完全な自己流でして、もしかしたら…本当に作り方は違うのかも知れません。
えっとナチョパパの母親…お料理の先生という事もあるのですが、以前『鯛茶漬け』で大失敗した事はあったものの(苦笑)、なんか見よう見真似で…ナチョと二人の時には作ったりします。
自分一人の時はコンビにですσ(^◇^;)エヘヘ ナチョにはなるべく手作りのモノを食べさせるようにしています。
ただ…ナチョパパレシピ ものすごーーーーーーーく独自のモノなので、参考になるのか分かりませんが書きますね。
まずナチョパパは基本が合挽きです。ビーフだけだと火が入った後、ボソボソ感が出るので、牛さんとブタさんの合挽きにします。挽き方は中挽きです。あまり粗挽きにすると、後に合わせるたまねぎと相性が悪く、5歳の箸使いは微妙な力加減が出来ないので、箸(ホークでも可)で掴む端から崩れてしまうからです。
◎牛挽肉200g
◎豚挽肉100g
◎たまねぎ(中) 3/4個
◎玉子 1個
◎パン粉
ここまでが材料で材料です。後はソースに必要な調味料などです。
◎ケチャップ
◎ウスターソース
◎赤ワイン
◎塩・胡椒
それと今日の副菜は…インゲンとにんじんのグラッセにしました。
お野菜は…ちょっと面倒だったので、サラダ…サニーレタスと、コーン、ほうれん草のサラダです。
ほうれん草はシュウ酸がありますので『生食用』もしくは「サラダ用」を買ってください。
まず、たまねぎの形を想像して欲しいのですが、4分の3(個)…ってことは、横向きになったパックマンみたいな感じの形ですよね。
その顎の部分…つまり玉ねぎの1/4をスライサーで細かく切っちゃいます。みじん切りよりは小さく、下し金で擦り下ろしたよりは大きく…って感じでしょうか?
比較的大きなボールを用意し、牛さんブタさんの挽肉と、この細かく切られた玉ねぎを混ぜ合わせます。
大方合わさったら、残りの玉ねぎ(つまり1/2)を全部『大き目のみじん切り』この“大き目のみじん切り”って…大体7ミリ角ぐらいでしょうか?(場所によっては1センチ近くあるかも)とにかく…それは大き過ぎるでしょう?!…って思うくらいで良いです。
※にんじん等のみじん切りと違って、玉ねぎは大きくても薄くなるので、火が入ると気にならなくなり無くなりますので安心してください。
さてここで、大き目のみじん切りにした玉ねぎをボールに入れ、パン粉(コレ何グラム…って言い方が分からないので、軽量カップの180ccの目盛り位の所までさっくりと入れた状態です)、玉子(僕の場合は全卵)、そして赤ワイン150ccをドバァーと入れます。
この時に「えーーーコレくらい入れても全然味に関係ないよ!」って言うような塩・胡椒を二つまみぐらい入れて、もし月桂樹の葉(クラッシュしたタイプのヤツ)があれば、一振りしてください。
コレをひたすら…混ぜます。混ぜて、混ぜて、ムニュって感じで揉んで、揉んで、揉み倒します。
指と指の間からムニュ~と何度も揉んでいると、その内 何となく粘り気が出てきます。
こうなったら、上からペタッって押しながらボウルに張り付かせて…サランラップを掛けて30分ぐらい置きます。
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さてこの間ににんじんのグラッセを作っちゃいましょう。
にんじんのグラッセというと、親指大のグラッセを思い浮かべますが…コレはお店だから出来る事で、円錐形の形をしたにんじんで、コレを作ってしまうと捨てる部分が多くなってしまいます。従って初めからベビーにんじんを買っても良いですし、子供の小指大の拍子木にしちゃってください。
それを少な目のお水(この量を何と言えば良いのか分かりませんが…おなべの中のにんじんがギリギリが隠れるぐらい…とでも言いましょうかf^_^;)アセ)で煮ます。
ただ火に架けるだけです。にんじんに爪楊枝を刺して…これまたギリギリ爪楊枝が通るぐらい(私は硬目が好きなので)で、お砂糖を大さじ一杯とバターを入れて、お水を飛ばしちゃってください。
それで終わり。
( ̄◇ ̄;)エッそれだけ? いや正式には何か作り方があると思います。でもナチョパパ式はコレで終わりです。簡単でしょ?
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さてハンバーグを作ります。
手のひらにハンバーグの大きさに必要なだけのお肉をとり、右手から左手、左手から右手に、キャッチボールします。ピタッ、ピタッ、って感じで、それを繰り返します。
ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ、ピタッ
ちょっとしつこいかな?って思うだけ繰り返して、お肉の中の空気を抜いて…最後はハンバーグの形に整えてください。
※挽肉は腐りやすいので、なるべく手の温度が暖か過ぎない方が良いので(苦笑)、必要以上にお肉を握らないようにお願いします。
続いてハンバーグの形なった挽肉の中央を、親指でムニューと押して穴の開いてないドーナッツの形にします。もう余計な事をせずに、フライパンに油を引き『油から煙が出るくらい』熱したら、ハンバーグを入れます。
この時、一気に両面を軽く焦がします。理由は表面を焦がす事で、中の必要な肉汁が出て来ないためです。この後はレンジの火を小さくして…ハンバーグの内部まで火を入れるようにします…が…火を小さくした瞬間に赤ワインをフライパンの土手を使って周りから入れます。
※火が怖くなければ、レンジの火を少しかざすと…フランべした状態になり、一気にアルコールが飛びます。
ハンバーグにしっかり火が入ると、真ん中を凹ました状態だった穴が、無くなっている事に気づくでしょう。
こうなったら一旦肉を取り出し、フライパンに出た肉汁と油に軽く茹でたインゲンを放り込みます。これから作るハンバーグソースの味が濃いので、ここでは塩一つまみと胡椒一振りで…サッと炒めます。茹でてあるのでこの炒めは本当に軽くしてください。
茹でるのも軽く、炒めるのも軽くです。
インゲンの歯ごたえの無いのは最悪だからです。
インゲンをフライパンから取り出したら、そこに赤ワイン100cc、ケチャップ100cc、ウスターソース30cc、好みによってタバスコ少々(今回はナチョがいたので…入れませんでした)。
これでナチョパパ…のハンバーグは終わりです。
実に簡単…イージークックですf^_^;)アセ
ちなみに「ナチョパパ ポパイサラダ」は次回 リクエストがあれば…σ(^◇^;)エヘヘ 無いだろうけど。
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<前回までのあらすじ…:普通の大学生、普通の社会人になるべく、浪人をすることを決め予備校の寮に入って24時間監視の下、勉学に励むはずが…。二浪の道に…彡(-_-;)彡トホホ ここで勉強すれば良いものをニートとしての人生を邁進、いや猛進。どうなるナチョパパ。人生の階段を踏み外したのか? それとも別の階段を探すのか? ナチョパパ人生の転機を迎えたのでありました…>
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今でも…冗談でも何でもなく、本当に今でも夢に出てくるシーンがあるんです。
広い階段式の教室の中に大勢の受験生の中に、今現在の僕がいて後数分で試験が開始になる直前から始るんです。変なチャイムの音(なんかズレた和音で実に気持ち悪い音)で目の前に既に配られている問題用紙を表にひっくり返すんです。
もちろん僕だけじゃなく、この教室にいる全員が一斉に用紙をひっくり返すので、紙ズレの音で教室が満たされるような、その分 酸素が一瞬だけなくなってしまった感覚に支配されると言うか…。
問題を見ると僕が最後に受けた試験…慶応の商学部の英語の問題がそこにあるんです。
「あっ、あの問題だ」って思うと、心がギュッとするのです。
それが夢の中の英語の問題は、一行目から読めなくて…確かに英語なんだろうけど、見たことも無い単語…いや単語なのかどうかも分からない、変なアルファベットが並んでいるんです。むしろ「コレはオーストリアの言葉です」とか、「フィンランド語です」とか、言ってもらった方が納得出来るような感じのアルファベットの並びなんです。
そして夢の中で「あーあの問題が来る」って、恐れてる問題が来る事も分かっているんです。
その問題は…「文中の“that”がさしている所を抜き出せ」というもの。
コレは夢ではなくって、実際に当時僕が受けた時の設問で…このthatが、さしているものを探せなかったんです。いや正確には探し出せたんですが、初めに答えていたところが間違っている…って気づいたのが、試験終了の10分ぐらい前で…。しかもその質問の答えによって、その後の問題の答えがガラッと変わってしまうほど、この試験の肝になる…重要な問題だったのです。
この瞬間、僕は自分が進路を変えようと決意した瞬間でもありました。
夢の中では、そのthatさえも見つけられない(苦笑)って設定に変わっているのでが、嫌な汗が噴出す感じで、必死に文中にあるとされているthatを探す…そんな夢なんです。
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さて現実の世界に話を戻しましょう。
僕は試験を受けた日に父に「駄目だと思う」と伝えると、父が「結果を待たないで良いのか?」って聞くので、「はい」と答えたんです。
そのくらい英語の試験が致命傷だったのです。
父は「分かった」とだけ言うと、『「自分が本当にしたいこと」を良く考えなさい』とだけ言って、それ以上のことを何も言いませんでした。
イッタイ ボクハ ナニガ シタインダロウ?
一体 僕は何がしたいのだろう?
変な言い方ですが、それまでの人生のレールと言うか…スケジュールって、自分が決めてると言うよりも、レールに乗っているだけ…って言うか、あって無いような自分の意志だったのですね。
つまり小学校が終われば中学校へ。中学校が終われば高校へ。高校が終われば大学へ。大学が終われば会社へ…という『次のステージ』が用意されているものと思い込んでいた訳です。もちろんそれぞれの局面で何処へ? と言うような事は、かなり個人的な事情が左右するのだろうけど、とにかく自分の人生を初めて自分で考える事になったと実感したのです。
ところがいざ『何をやっても良い』って言われると、何をやって良いのか分からない。
例えて言うと、目の前に左右に分かれている道があって、どっちに行きますか?って聞かれたら『右』だの『左』だの言えるのですが、目の前に無数に分かれ道があると、どれを選んだら良いのか?と、とても困惑すると思うのです。
『どの道を選んでも良い。でもそこに留まっている事だけはダメだ』と言われた感じとでも言いましょうか?
考えてみるとそれまでの人生、何かを人に褒められたって経験が無い。
つまり僕は何が出来る?もしくは僕は何が得意なんだろう?と考えた訳です。
高校は野球で入ってしまったし、入ったは良いけど入部前に『この中では絶対にレギュラーになれない』って思った僕は野球部に入部せず(セレクションされたのですが、そこそこ入試の際の成績も良かったので、別に入部しなくても良くなったのです)、サッカー部に入り…やってはみるものの、どー贔屓目に見てもセンスが無い。高校卒業してまでしたくないし。
うーん
僕何が出来るのだろう。
しばらく悩み続けたのです。
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たぶん人生の中でこんなに『自分自身のこと』を考えた事って、後にも先にも無いと思うのですが(苦笑)…それは真面目に考えました。
それで行き着いたのが、唯一、本当に唯一、人様に「まあまあかな?」って言われた事があったな・・・と。『凄く良いです』ではなく「まあまあかな」レベルなんですけど、たった一度だけ。
当然『自分の過去を振り返っている』ので、話が更に過去になってしまうのですが(苦笑)、僕はこう見えても中学校1年生から高校1年生までの4年間、ずーーーーーーーーーーーと美術が“2”だったんです。理由は簡単でどの教師も大嫌いだったf^_^;)アセ とにかく何かを強要されるのが大嫌いだったのですね。
特に感覚みたいなもの採点される…って事に、どうも納得がいかなかったんです。『好きに描きなさい』『好きなものを描きなさい』と言われて描くと、採点されて戻ってくる。どうも納得いかない(笑)
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ところが高校二年の時に新しい美術の教師が来たんですね。僕の高校は教員が大学の先生(講師レベル)が担当する事があって、数学や化学は大学の先生が担当してました。今回来た美術の先生は多摩美の助教授が来たのです。
森先生と言って40歳代半ばだったと思います。高校2年次に選択しなければならない科目の中に、「音楽か美術」があって、音楽も厳しいので(苦笑)…特に何? ってことも無く…美術を選択。
そんな時、“自分の名前を絵の中に入れて、描いてください”って課題が出たんです。まあ必須でもあったので、ひたすら描きまして(苦笑)提出しました。
次はスケッチに出掛けて風景画を描きました。この二つはサッカー部のほかの連中も描いてますから、あくまでも「単位のため」の作画です。
ところが…3年生のある日の授業から、クロッキーだが写生だかの課題を出された時、
『ナチョパパくん 君は描かないで良いから。その代わり、この紙をあげるからここに好きなもの描いて…』と。
ナチョパパは納得がいかず「なんでですか?」と…。すると教師は「いや時に意味は無いけど、あなたならこの大きな紙に何を描くかな?って思って…」
当然私は『単位の為』の美術だから、『すいませんが…皆がクロッキーで単位が貰える様に、僕もそれを描くと単位が貰えるのでしょうか?』と。
教師は「ええ」
それなら話は別です。
僕は大きな画用紙を前に…書くものを決めて、下書きだけしてその週は終わりました。と言うのも…いつまでに提出しろって期限が無かったんです。学期末までに提出すれば良い。こんな楽な話はありません。授業中にちょこちょこ仕上げる。授業以外には描く気もないし…放課後はサッカー部で練習していましたから。
当時、私の高校は毎週月曜日が朝礼でした。いつも通りの朝礼が終わった後、
「今日はお知らせがあります」
皆、長い校長の話に始って、学年主任の話など…ウンザリしていたので、えっまだ終わらないの?って心で叫んだことでしょ。何故なら僕自身も「えっえええええ」って思ってましたもの。
現代の子供達と違って、それを声に出したり出来ませんでしたけど、当時は(苦笑)
なんとナチョパパの授業中に描いた絵…全国高校絵画展に出ちゃいまして、佳作を獲っちゃったんです。高校野球の祭典が甲子園ならば、高校サッカーの祭典が国立競技場の全国サッカー選手権、そうなると、全国の美術部員が目指すのが、この絵画展(コンクール)なんです。
もちろん「ひょえ~」ですが、勝手に応募していた教員もビックリでしょうが、僕もビックリ。それより我が校の美術部員がビックリです。こっちはサッカーばかりやってる賞も無い生徒。
それに比べて美術部員は、その日の為に、毎日毎日絵を書き続けていたのですから…。
朝礼で変な賞品を貰って(なんかショボイものと、賞状でした)、上野の『現代美術館』展示される事になって…それを学校で見に行く事になって、その上野の美術館の周りで卒業アルバムの写真素材を撮ることになって(苦笑)
なんだか訳の判らない状態になった訳です(((o^∀^)oアハハ
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「あーーーーーーー俺 なんか変な賞を貰ったぞ。なんかショボイ賞だったけど…」と、自分がかつて唯一『褒められた』事を思い出したのです。
★。、::。.::・‘゜★。、::。.::・’゜☆。.::・‘゜★。、::。.::・’゜★
今日の話はここまで…
アー本当に私のフランス留学記は無事、かの地へ辿り着くのでしょうか? 彡(-_-;)彡トホホ
by nachopapa
| 2006-08-27 21:40
| 今日という日